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2017年4月 9日 (日)

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―「前期難波宮」内裏前殿に使用された魏尺(正始弩尺)―

 

「肥さんの夢ブログ(中社)」だったと記憶していますが(記憶違いかも)、「前期難波宮の内裏前殿は「魏正始弩尺(せいしどじゃく、24.3㎝)」でつくられていた」という内容を発表したあと、James Macさんから「魏杜虁尺(ときじゃく、24.175㎝)」をご教示いただきました。どちらも「魏尺」ですが、「正始弩尺」と「杜虁尺」の値が極めて近いので 、発表した「正始弩尺」だという結論は早計であったと考え、どちらであるかという結論は留保させていただきました。その後検討した結果、結論として「やはり正始弩尺であった」ことを報告いたします。

 

前回の発表をご存知ない方もいらっしゃると思いますので、前回の発表と重複しますが、最初から説明をさせていただきます。

 

大阪城の南西に「大阪歴史博物館」(通称「歴博」)があります。その「歴博」の南東に「難波宮跡公園」があり、そこにある遺跡が「前期難波宮」と呼ばれる宮城遺跡です。その遺跡が二期あることから「前期難波宮」と「後期難波宮」と呼んで区別されています。

 

「前期難波宮」は、東西・南北ともに六五〇メートルもあるそれまでにない大規模な王宮で(もっと広いという説もある)、朝堂院とよばれる朝議をおこなう建物をもち、重要な儀式などで天子が出御する王宮の正殿にあたる内裏前殿という中心舞台をもっていました。

 

 

この遺跡がなぜ重要かと言いますと、九州王朝説が説明しきれていない、というよりはこの事実を突きつけられるとグウの音もでないという三つの事実のうちの一つとなっています。

古賀達也氏が指摘されている「九州王朝説に刺さった三本の矢」、その一つなのです。

 

【九州王朝説に刺さった三本の矢】(古賀達也氏の指摘)

《一の矢》日本列島内で巨大古墳の最密集地は北部九州ではなく近畿である。

《二の矢》6世紀末から7世紀前半にかけての、日本列島内での寺院(現存、遺跡)の最密集地は北部九州ではなく近畿である。

《三の矢》7世紀中頃の日本列島内最大規模の宮殿と官衙群遺構は北部九州(太宰府)ではなく大阪市の前期難波宮であり、最古の朝堂院様式の宮殿でもある。

 

この《三の矢》です。7世紀中頃の日本列島内最大規模の宮殿と官衙群遺構は北部九州(太宰府)ではなく大阪市の前期難波宮(最古の朝堂院様式の宮殿)である バイオノーマライザー 3g×30包BIO NORMALIZER【No.11】《三旺インターナショナル》、この事実です。

この《三の矢》を抜くことができる仮説が古賀達也氏の「前期難波宮九州王朝副都説」です。

この仮説が成り立たないと「九州王朝説」は「九州豪族説」にならざるを得ないのです。九州王朝説にとって「致命的(fatal、死に至る)」となる可能性(危険性)がある遺跡なのです。これを認めない方がいるとは思いますが、そんな“自己欺瞞”は世の中では通用しません。“原発村”、“一元史観村”ならぬ“古田史学村”など作ってはなりません。

 

従来説(一元史観)では、この「前期難波宮」を『日本書紀』の孝徳天皇の遷都記事によって「難波長柄豊碕」に充てているようです。次が『日本書紀』の原文です(岩波古典文学大系68『日本書紀 下』、大化元年(六四五)十二月癸卯〔九日〕条)。

 

冬十二月乙未朔癸卯、天皇遷都難波長柄豊碕。老人等相謂之曰、自春至夏、鼠向難波、遷都之兆也。

 

六四五年は「近江朝」以前、「白江戦(白村江の戦い、六六三年)」以前です。日本国の最初の遣唐使(正しくは「遣周使」)は七〇二年です。また、隋(五八一~六一八)の滅んだ後ですから、従来説によれば「前期難波宮」造営に用いられた「ものさし(尺度)」は、唐のものである可能性はないとは言えませんが、基本的には隋以前の「ものさし(尺度)」が用いられたと考えるべきでしょう。

「前期難波宮」の造営に用いられた「ものさし(尺度)」が唐のものではないとなれば、この宮城遺跡がヤマト王権のものではない可能性が高くなりますので、九州王朝説にとって「致命的」とはなりません。

 

今回の結論「魏尺(正始弩尺)が造営に用いられた」ということは「南朝尺」が用いられたということです。また、「前期難波宮」が北に王宮を置く「北闕型」であることは「大興城」と同じ様式で「北朝式」であると考えます(王宮を中央に置く「周礼型」が南朝式)。「南朝尺」と「北闕型(北朝式)」ということになると、南朝を滅ぼして統一した隋の時代に現れる「折衷文化」と考えられますが、隋の時代のものであるとの判断は早計と思いますので、時代の比定は後の研究に委ねます。

 

では、検証される方の為に「魏尺(正始弩尺)」という結論にいたった過程を説明します。

 

検討に使用した図(注1)は、『東アジアに開かれた王宮 難波宮』(積山 洋 著、シリーズ「遺跡を学ぶ」095、2014年8月14日、

、第1版第1刷)という書籍のP.36にある「図21・内裏前殿」の礎石配置図です。著者は大阪歴博企画広報課長代理、同学芸課長代理をへて2014年に退職された方です。この著作に掲載されている図は発掘調査報告書から転載されたものと考えてこれを使用しています。発掘調査報告書のデータではないと思われる方は 【ジョルジオ アルマーニ】 シィ オーデパルファム・スプレータイプ 150ml 【香水・フレグランス:フルボトル:レディース・女性用】【バースデー 記念日 ギフト 贈物 お勧め 通販】【シィ】、発掘調査報告書のデータを使用して、私と同じ方法でご確認ください。同じ結論に至るはずだと思います。

(注1)「肥さんの夢ブログ(中社)」へ掲載を依頼したときは、「図」ではなく「礎石配置図」と書いてありましたが、この遺跡は礎石ではなく掘建柱でしたので謹んで訂正させていただきます。ご指摘くださった服部静尚さん、ありがとうございました。

 

現存する「ものさし(尺度)」として使用したのは次の尺度のです。単位はcmです。

商尺17.000、黄鐘笛管長17.650、※(注2)、戦国尺23.000、前漢尺23.300、後漢尺(「晋前尺」)23.090、「魏・杜虁尺」24.175、「魏・正始弩尺」24.300 【送料無料・まとめ買い×024】コーセー サロンスタイル ボタニカルホイップ ストレート  200ml ×024点セット(4971710389777)、「晋後尺(元帝以後)」24.500、「宋氏尺」24.568、唐小尺24.690、梁尺29.500、唐尺(天平尺)29.630。(注3)
なお、「ものさし」が現存しない創造古代尺(“高麗尺”、“古韓尺” マスク ド フォルス 500g 業務用 【ケラスターゼ KERASTASE】【レジスタンス RESISTANCE(RE)】※ポストイン不可※、“奈良尺”)は使用していません(使うつもりもありません)。

(注2) この論考を「肥さんの夢ブログ(中社)」へ掲載をお願いした際は、※の位置に “黄鐘尺” 19.611(黄鍾笛管長×10/9) とありましたが、服部静尚さんから律暦志よる推定尺度ではとのご指摘をいただきました。ご指摘の通りで「漢書律暦志」に依拠した推定尺度でしたので削除いたしました。今後これを用いることはいたしません。

(注3)なお、ものさしは材質如何に関わらず、経年変化を免れませんので、現代においで測定した長さが絶対的に正しいということは断言できないことにご留意ください。

 

私が用いた「仮説」は次のものです。

わが国では、中国王朝が制定したものさし(尺度)を用いていた。」

仮説に根拠はいりません。事実に反していなければよいのです(科学者や数学者で「排中律」や「ペアノの選択公理」や「連続体仮説」の根拠を示せという者はおりません)。私が創造古代尺(“高麗尺”、“古韓尺”、“奈良尺”)を検討に用いないのはこの「仮説」を採用しているからです。創造古代尺を用いる方々はこの「仮説」の否定形を「仮説」として採用していると思われます(事実に反しているのに)。

 

私が検討した手順は次の通りです。

1.内裏前殿の礎石配置図の礎石間距離を採寸して、現存する「ものさし」の長さで割り算をして完数(整数値)に近い値がでたものを、用いられた「ものさし(尺度)」の候補のめぼしをたてた(参考を超えない)。前回はここで結論を急いで出してしまった。

2.採寸した礎石間距離の“実測値”(図の採寸の値をスケールで換算した推定値のことで遺跡の実測値ではありません)同士の割り算をして、“実測値(推定)”間における相関関係を調べ、強い相関関係が見られたものを信頼できる“実測値(推定)”とみなした。また、強い相関関係が見られたもの同士の「相関関係」の内容から、用いられた基準単位を想定した。

3.前回で「魏尺(正始弩尺)」の1.2倍という基準単位が検出されているので、2.で検出された基準単位を1.の段階で候補とした「ものさし」の1.2倍で割り算をして、完数(整数値)が得られるかどうか確かめた。

以上の手順によって「正始弩尺」が最も適合することが判明したわけです。

 

上記の手順に従って行ったことは次の通りです。

 

1-1.書籍の図を300%の拡大率でコピーした。

 

1-2.100円ショップのモノサシ(非JIS認定)でコピーを採寸した結果は次の通りです。

単位はmmです。

東辺(北から):25.75+25.25+25.5+25.5+25.5=127.25

西辺(北から):25.25+25.5+25.5+25.75+25.5=127.5

南辺(西から):25.5+25.5+27.25+29.25+30.25+29.25+27.25+25.5+25.5=245.75

北辺(西から):25.5+25.75+27.0+29.25+30.25+29.25+27.5+25.25+25.0=245.5

 

この最頻値などから南辺の礎石が正しい数値を示していると考えられました。

つまり、使用されている柱間距離は次の①~④の四つであると推定しました。

 

25.5mm、

27.5mm、

29.25mm、

30.25mm、

⑤桁行9間:245.75mm、

⑥梁行5間:127.5mm。

 

さらに、礎石がない東北隅は、東に0.25mm、北に0.25mm移動した位置にとるべきではないか、このために北辺と東辺におかしな数値が現れているのではないかと考えられました。この補正をすると次のようになります。

 

桁行9間:25.5+25.5+27.25+29.25+30.25+29.25+27.25+25.5+25.5=245.75

梁行5間:25.5+25.25+25.5+25.5+25.5=127.5

 

1-3.図にあるスケールは300%拡大では20mが134.5mmでしたので、1mは6.725mmとなります。これで①~⑥を換算した“実測値(推定)”は次の通りです。

 

25.5mm=3.7918215613…m

27.5mm=4.0892193309…m

29.25mm=4.3494423793…m

30.25mm=4.4981412639…m

⑤桁行9間:245.75mm=36.54270929…m

⑥梁行5間:127.5mm=18.959107807…m。

 

なお、補正した数値0.25mm=0.031747211…mですので、東北隅の礎石位置はあと東と北に約3.175cmづつ、つまり3.175cm×√2だけ東北にずらして想定する方が良いのです。

 

1-4.これらの“実測値(推定)”を現存するものさしで割り算して得た、尺度との強い相関関係が認められたものは次の通りです。

25.5mm=3.7918215613…m➡該当なし。

27.5mm=4.0892193309…m➡「魏・杜虁尺」24.175の16.951倍。

29.25mm=4.3494423793…m➡「魏・杜虁尺」24.175の17.991倍。

 

30.25mm=4.4981412639…m➡「魏・正始弩尺」24.300の18.511倍。

⑤桁行9間:245.75mm=36.54270929…m➡黄鐘笛管長17.650の207.041倍。

⑥梁行5間:127.5mm=18.959107807…m➡「魏・正始弩尺」24.300の78.021倍。

 

以上から、魏の「杜虁尺」24.175cmと「正始弩尺」24.300cmの二つの「ものさし(尺度)」が候補として浮かび上がりました。ここまでが、「杜虁尺」24.175cmを知らず、早計に「正始弩尺」24.300cmとして結論して撤回したという前回の経緯でした。

 

今回は次の検討を行っています。

2.“実測値(推定)”同士の割り算をして、強い相関関係が見られたものは次の二つの“実測値(推定)”でした。

27.5mm=4.0892193309…m➡「魏・杜虁尺」24.175の16.951倍。

30.25mm=4.4981412639…m➡「魏・正始弩尺」24.300の18.511倍。

これが、②×1.1=④という関係にあります。この関係から、つぎのことが考えられます。

(1)②と④は信頼できる数値である可能性が高い。

(2)④-②=(1.1×②)-②=0.1×②=40.892193309cmが単位寸法またはその何倍かの可能性が高い。

 

3.前掲著書で「一尺=二九・二センチ前後の唐大尺が採用されている」とされているのは、「魏正始弩尺24.3cmの1.2倍=29.16cmということを見落としたもの」ということが前回にわかっていたので、この0.1×②=40.892193309cmを、「杜虁尺」24.175cm×1.2=29.01cmと「正始弩尺」24.300×1.2=29.16cmで割ってみたら、次の通りでした。

「杜虁尺」:40.892193309cm÷29.01cm=1.409589566…

「正始弩尺」:40.892193309cm÷29.16cm=1.4023385908…

以上から「正始弩尺」の方がより1.4倍により近いということから「正始弩尺」と結論しました。

ただ、40.892193309cmを1.4で割った29.208709506cmという数値を1.1や1.2とかの準完数で除してでる長さの尺度を知らなかったという可能性は否定できない(「杜虁尺」のように)ので、その可能性も残されているということは付言しておきたいと思います。

 

「正始弩尺」であるとして復元すると次の数値となります。

基準寸法:「正始弩尺」の1.2倍の29.16cm、これを1単位とすると次のようになります。

25.5mm=3.7918215613…m➡13単位=3.7908m

27.5mm=4.0892193309…m➡14単位=4.0824m

 

29.25mm=4.3494423793…m➡15単位=4.374m

30.25mm=4.4981412639…m➡15.5単位=4.5198m

⑤桁行9間:245.75mm=36.54270929…m➡125.5単位=36.5958m

⑥梁行5間:127.5mm=18.959107807…m➡65単位=18.954m

 

以上から、著書にある桁行と梁行は次の数値が詳しいものとなります。

桁行9間(36.6m)➡桁行9間(36.5958m)

梁行5間(18.8m)➡梁行5間(18.954m)

 

以上によって、前掲著書で「一尺=二九・二センチ前後の唐大尺が採用されている」とされているのは 【送料無料・まとめ買い×20個セット】ヘンケルジャパン パオン クイックリタッチ ダークブラウン、「魏正始弩尺24.3cmの1.2倍=29.16cmということを見落としたもの」であり、「一尺=二九・二センチ前後の基準寸法は南朝尺(魏正始弩尺)の1.2倍が採用されている」と訂正されるべきと考えられます。また、1.2倍というのは六寸を一単位としてその2.4倍を採用したとも考えることもできて、そう考えると15.5単位とした箇所は31単位という完数となります。この考えも捨てがたいところです。いずれにせよ、内裏前殿の造営に用いられた「ものさし」は「魏・正始弩尺」であり「唐大尺」ではなかったという結論は動かないものです。「営造方式」が考慮されていないのは、いかなる等級の「材・分」を用いようとその木材を裁断するときには「ものさし」を使用したはずであり、とすれば必ずその尺度(目盛り)は遺跡のどこかに現れると信じているからです。もし、「材・分」で証明できるのであれば、

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、この内裏前殿の礎石でその証明を示していただけば良いことだと思います。私は別に「材・分」を否定しているのではありません。誤解のないようにお願いいたします。

2017年4月 9日 (日) 古田史学 | 固定リンク

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